いつも、毎日
『かつたぅ〜(俺のこと)、お母さんいるね〜?』
という電話がかかってきて、
我が家に青い軽トラに乗ってきて、仕事の領収書をかかせるのが、日課で、毎日元気でパワフルで、青い軽トラに乗り、あまかいくまはいをしていた、おじい。
そんなおじぃに異変が起こることとなる。
すべての始まりは、2001年10月10日からが始まりだった。
いつも元気なおじぃが体調不良を訴えた。
いつも、元気なため、病院には絶対いかないおじぃが病院へいきたいといい、母が病院へ連れていったことがきっかけだった。
体調不良なのは、あたっていて、すぐ、入院をしなきゃいけないという話になった。
いざ、入院生活がスタートし、最初は病院が苦手なおじぃ。
大変だった。
だけど、人と会話の好きなおじぃは隣のベッドのひとや、他の病室のひとまで、話しにいく。
俺は毎日学校が終わるたびに病院に通っていたが、病室にいた、ためしがなく、いつも病院に入っていったら、
『宮平源孝を見ませんでしたか?』
が、病院に着いてからの、やることのスタートのことでした。
NURSE STATIONへいき、
各部屋に歩きまわり、
時間をかけてやっと見つかったという感じである。
それから、入院生活が続き、治療をしていき、良くなっていた。
一時帰宅と一時退院が認められ、ちょこちょこと、帰ることが出てくるようになった。
そんな2002年4月6日頃の話だった。
突然おじぃが家で倒れ、病院に運ばれたのだ。
血糖値が急激にあがったためだった。
これから、交代制で、栄養素・カロリーを考えた食事を作ることとなる。
が、しかし、おじぃは甘いものが、大好きで、甘いものを見るとすぐ口に放りこむ。
ある日の出来事だ。
ある昼下がり。
みねぇー(母の姉)が、みんなで食べるからといって、1ホールのケーキを買ってきたんです。
そのケーキをテーブルに置いてあるとなんと、
30分?か1時間くらいで、一人で全部平らげてしまったのだ。
体重50kgしかないおじぃ。
あまりにも、お腹空いてひもじかったのでしょう。
これには、みんなで驚きました。
自宅に帰ってからというものの、おじぃはいてもたってもいられなく、
病気の体だのに、自分で車を運転して、佐敷までいったり、
あまかいくまはいをしたり、
冷蔵庫修理したり、
いろいろやって家族を数々の出来事で、びっくりと、驚かせられることがありました。
それから、何日かして、体調が悪化。
またもや、病院生活が始まりました。
病院と自宅の行ったり来たりの生活が始まりました。退院が一時帰宅になり、9月・10月には、病院を出ることすら、できなくなってしまいました。
それが、最後の生前の帰宅になるとは誰も予想もしていませんでした。
外出することができなくなり、みるみる悪化していくおじぃ。痩せていたおじぃが、みるみるうちにどんどん痩せていくおじい。
最後には、病院の窓越しに見るたびに、
『羊が飛んでいる』や
『山の上に人間が歩いてる』や
『山の上に牛がいる』や
『誰かが天井から呼んでるよ』
と幻覚・幻聴を見始めることとなりました。
それから、病院や家族からの容態がおかしいの電話が、夜中かかってくることが多くなりました。
そんなこんなした、7年前の、2002年12月9日…夜中3時頃、一本の電話で起こされることとなりました。
電話の相手は、よっちゃん(母の妹)からの電話だった。
『今すぐ病院にきて』
との電話であった。
先ほども書いたように、
ここ数ヶ月間、何回か、病院呼ばれることがあり、
『まだ大丈夫、いつか元気になるんだよ!』
という心が実際ありました。
そして、なにも考えることなく、いつも通りに病院へ向かった。
向かうと、みんな集まっており、おじぃを病院みんなで、囲んでいた。
みんなが、一生懸命、
『まだだよー』や
『しっかりしてー』とか
『みんないるから大丈夫だよ』
と声をかけたりしている。
俺と、よっちゃんは、必死に足や手に刺激を与えるため、手が疲れても休むことなく、マッサージをし、刺激を与えて、いた。